2025/12/18 13:13
私は飽きっぽい。
良く言えば、好奇心旺盛である。
「やってみたい」と思ったことは即行動に移すのだが、それを継続することはなかなかにまれである。
「最近、〇〇始めたんよー♪」
と友人に話そうものなら、
「え!?△△は?☆☆はどうなったん?」
と質問攻めをくらい、タジタジ…とこめかみをかかずにはいられないほど、まれである。
そんな長続きしない好奇心旺盛な私が、唯一、30年以上続けている習慣がある。「書くこと」だ。今日はそれについて話そうと思う。
「継続は力なり」の呪い
小学校時代の担任の先生の座右の銘が「継続は力なり」だった。
朝の会や帰りの会、普段の授業、学級通信や文集など、ありとあらゆる場面で、この言葉が散りばめられてきた。
先生のことが好きで、この言葉も必死に好きになろうとしていたのだが、すぐに飽きてしまう私に似合う言葉ではなかった。
それは大人になってからも同じだった。
ずっと同じ仕事を続けられている人や、一つのことに打ち込めている職人のような人にはただただ感心し、“続けることがいかに大切か”という話を耳にしては、「いや、まぁ、そうなんだけどね」と思いながらスルー。
スルーするものの、頭の中では“継続は力なり”という言葉がチラつき、心はずっと囚われていた。
ところが最近、私にも続けていることがあったことに気付いた。書くことである。
(こめかみを、ではない)
書くことが好きだと気付いた日
小さい頃から、手紙はよく書いていた。
送った相手からは「嬉しかったから、ずっと持っている」「時々読み返す」「言葉が好き」なんて言われることも、少なくはなかった。
大学生の頃、どの教科も論文必須という“非常事態”が2年も続くことになる。始まる前は、拷問のような日々になるものと思っていた。
が、基礎からみっちりしごかれたこともあり、一旦書き始めるとバババーっと書け、案外すんなりと書き終えられることも多かった。
驚くことに“遺伝子組み換え食品”について書いた論文は「“書き方のお手本”として使わせてくれないか?」と、教授から依頼が来るという事件も起こる。
(きっと、複数人に依頼したが誰も承諾してくれず、私が最後に生き残ったのに違いない)
このnoteもまたありがたいことに、「面白い」「共感する」「気持ちを言葉にしてくれた」「わかりやすい」「もっと読みたい」や、「ファン」とまで言ってくれる方もいる。
それは何よりの励みになっているし、鼻息が荒くなるほどに嬉しい。
そして、こういった事実が、少しずつ私の自信となっていき、今まで1ミクロンも考えたことがなかった、「自分は書くことが好きで、得意なんだ」ということに気付く。
何を書き、なぜ書くのか
「書く媒体」として、プライベート用は日記帳を使っているのだが、日記は毎日書かないし、書いている内容は多岐にわたる。
普通の日記ももちろん書くが、学んだこと、やりたいこと、行きたいところ、欲しいもの、旅行の日程表、ちょっとした家計簿、お洒落サインの練習(いつ使うん?)、面と向かっては言えないあの人へのセリフなどなど…
頭の中にある考え事の大渋滞を吐き出して見える化し、交通整理をするため、ありとあらゆることを書いている。
さっき見返していたら、理想の家の間取りなんかも描いていた。

恥ずかしいのでぼかしを入れた
(見えづらいのは視力のせいではない)
どうやら平屋に住んで猫を飼いたいらしい
また、書くだけにとどまらず、いただいた小さな手紙やメモ、メッセージカード、入園券、映画や舞台、飛行機などのチケット類、おつりがゾロ目のレシート、プリクラなど、想い出を貼ったりもしている。
たまに見返しては、今とは違う考えに驚いたり、悩みが解決していて安心したり、妄想が激しくて笑えたり、想い出に浸ったり、「こんなこともあったあった」と、自分で楽しんでいる。
誰かに見せる予定もないので(間取り図は披露したが…)、ありのままをさらけ出せる。
どこにもぶつけられない気持ちさえも、何も言わずに受け止めてくれるので、私にとって欠かせない居場所にもなっている。
愛用している日記帳
ここ十数年愛用しているのが、石原出版社の「石原10年日記」だ。
(石原さん以外ももちろん使える。ちなみに私も石原さんではない)

B5 サイズと大きく、包容力の塊である
2024年が抜けているのは、バレットジャーナルの流行に乗って浮気してしまったからだ。
お察しの通り2年と続かず、結局石原さんに戻った。
いろんなノートに書いてしまうと、ただでさえとっちらかっている頭の中が、さらにとっちらかってしまう。だからこそ、一冊にまとめられるのは私にとって救いでもある。
10年分のとっちらかった自分史が詰まっているので、それはそれはとっちらか・・・感慨深い。
さいごに
振り返ってみると、書くことは、飽きっぽい私が唯一 “続けている” と胸を張れることである。
「継続は力なり」とは言われるが、その言葉に縛られ、義務のように頑張る必要はないと私は思っている。
無理をしなくても気付けば習慣となっていて、いつの間にか自分の力や支えになっている。
きっと、そういうのでも十分なのだ。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます!
