2025/10/07 09:21

さいしょに

ネコのような生活がしたいと、常々思っていた。
起きたいときに起きて、お腹が空いたら食事をして、遊びたくなったら遊んで、好きなときに好きなことをする、そして、眠くなったら寝る。

かされたり、期限に追われたり…時間に追い詰められることが、どうも苦手だ。なるべくなら、彼らとは戦わずに過ごしたい。

先日実家に帰った時、時計の多さに驚いた。
玄関、勝手口、キッチン、ダイニング、洗面所、トイレ、各部屋。リビングには3個もあった。時間王国だ・・・

そこで、ふと思い付いた。
時計なしで過ごしてみようかな?と。
「時計を見なければ、時間に追われないのではないか」と。
ずっと憧れだった、ネコのような生活を1日でも体験してみようと、早速、休みの日に試してみることにした。前日に、家中の時計という時計(2個しかなかった)を封印し、スマホも見ないと決めた。通知音も気になると思い、機内モードに設定した。



実験当日

朝目が覚めた時、無意識に時計があった場所を見て、時間を確認しようとしていた。
いかん、いかん!完全に時間の思うツボである。

そんなこんなで始まった一日は、車のナビや開いたパソコンのスクリーン、お風呂の給湯器の画面など、時刻を告げられる不意打ちの瞬間はいくつかあったものの、なんとか終わった。

始める前は、「時計を見ずに過ごすと、これ以上なくゆったりとしていて、1日がとても長く贅沢に感じた。」なーんていう感想と、完全に満たされた心を予想していたのだが、それは大きく外れてしまうことになる。



気付いたことふたつ

ひとつは、「ネコのような生活は、まだ私には早かった」ということ。
確かに1日は長く感じた。しかし、長ければ良いという訳でもなかった。
「今、何時だろう?」と気になることは何度もあったし、午前中(であろう時間帯)は、どこかのお店へ行くにも、今開いている時間なのかがわからない。そういえば、計画を立てたり段取りを組んだり、時間を管理するのも結構好きだった。
知りたいことがわからない、好きなことができない、というのは逆にストレスであり、本末転倒だった。今はまだ、時計を見ながら、ある程度計画的に生活(行動)をする方が、性に合っている気がした。


もうひとつは、「スマホのないことの快適さ」だ。
「時間を気にせず過ごすこと」よりも「今と自分に目を向けること」の方が何倍も重要なんだと気付いた。
スマホを開けば、指が勝手に SNS のアプリを開き、ネガティブポジティブ関係なく、無限に情報が入ってくる。会ったこともない人たちの日常や非日常、行ったこともない国や地域の出来事に、一喜一憂している自分がいる。そういった受動的な情報摂取で、脳みそと心が疲弊していく。
これがなかった。
今、目の前に見えている現実の中に自分を置いておける。起こっているその事実だけに、自分の感情を動かせる。



さいごに

「時計を見なければ、時間に追われないのではないか。」は、安易な思いつきに過ぎなかった。

「ネコのようになりたい」というのは実は、時間に縛られず、好きなときに好きなことをする "自由への憧れ" 、というよりも、「自分自身の今を生きたい」ということだったのかもしれない。

今後、時折やってくる「ネコになりたい」という衝動にかられたときは、時計をしまうのではなく、スマホを、そっとしまってみよう。