2025/09/12 16:24
私の撮る写真を、「好き」と言ってくれる方がいる。
嬉しい。私も好きだ。
撮るのも、撮った写真を見るのも好きだ。
note や SNS、オンラインショップなどの写真は 98.7% くらい私が撮影しているのだが、今日はその撮影のウラ話と、私の考えについて話そうと思う。
カメラとの出会い
写真やカメラに興味を持つきっかけと、恐らく今の私の写真スタイルの原点となったのが、小学校5年生の時。
当時、5・6年生が入るクラブ活動があり、私は野外活動クラブに所属していた。そのクラブでは、小刀で木を削ってブーメランを作ったり、板に彫刻をしてバーナーで焼く焼板のプレートを作ったり、キャンプできっと役立つロープの結び方を学んだり、普段の授業では体験できない活動をしていた。
そのうちのひとつが「カメラで写真を撮ってみる」というものだった。
先生が持って来てくれたカメラは、分厚いレンズの付いた、小学生の私の両手には収まりきらない大きなもの。見たこともないカッコいいカメラに胸が躍った。
校内にあるものからひとつ、撮りたいものを選ぶ。
私は赤色のチューリップにした。
「絶対落とすなよ」という先生の言葉に緊張しながら、紐を首からかけ、左手でカメラを下から支え、右手をそっと添える。花にぐっとレンズを近づけ、シャッターを切った。
数日後、現像されたみんなの写真を見ながら、先生が感想を言ってくれる鑑賞会が開かれた。
私の写真に対するコメントは全く覚えていないのだが、鮮明に記憶している、ある写真へのアドバイスがある。
それは、学校で飼っているアヒルの写真だった。

これに対して先生が、「この写真だと、ここ(顔の前)がパツンと切れているから、ちょっと悲しい感じがするよね。だから、アヒルの顔の前にもっと空間があると、明るくて未来を見ている感じになるよね。」といった。

衝撃だった。(画力ではない)
撮り方ひとつで、こんなにも見え方が変わってくること、たった一枚の紙の中に物語が生み出せることが。
写真って面白いって思ったし、この先生の言葉が、今でもずっと芯に居てくれる。
撮影時に大切にしていること
写真を撮る時に、これだけは外せないという、ふたつのポイントがある。
ひとつは、「この写真、好きだ」と思うこと。
ここで重要なのが、「上手く撮れた」ではないことだ。
写真を見るのも好きなので、写真集やアルバム、SNSやWEBサイト、美術館や資料館など、様々な場所、媒体で多くを目にする。
その写真と自分の撮ったものを比べて、上手く撮れたかジャッジをしてしまうと、上を見ればキリがなく、途端に落ち込んでしまったりするからだ。
もうひとつは、おかしな話かもしれないが、「写真を撮ることに集中しすぎないこと」だ。
今見ているものを残しておきたい、という気持ちはあるのだが、そのことに集中しすぎると、「今ここ」をじっくり味わうことができない。
出かける時も、仕事の記録用に写真を撮ることはあっても、決して数は多くないし、そもそもカメラやスマホを持って行かないこともある。
スマホで撮った写真は特に、見返す機会はほどんどない。
そういった、いつ見るのかもわからない写真を撮るために、限りある時間を使うことが、どうしようもなく空しく感じてしまうのだ。
さいごに
といいつつも、やはり写真は好きだ。
どの一枚にも、その時に必ず存在していた景色や物語がある。
何十年、何百年経ったとしても、その一瞬に戻れたり、思いを馳せることもできる。懐かしい写真が出てくると、時間を忘れて何時間も見入ってしまった経験も少なくない。
写真って、いいなぁ。
と、つくづく思うし、これからも私の好きな写真を撮り続けようと思った。

儚い雲が好き